もし大久保利通が現代のリストラ担当だったら?

もし大久保利通が現代のリストラ担当だったら?
明治維新を裏で設計し、260余りの藩を一夜で消した男。冷酷とまで言われた手腕は、しかし近代日本という会社の土台になった。
100人を切ったあと、最後に自分の名札も外して講堂を去る。そんな現代の執行役員になっていたとしても、不思議ではない。

なぜ親友・西郷隆盛すら斬れたのか

大久保と西郷は薩摩の幼なじみ。共に倒幕を成し遂げた同志であり、命を預け合う関係だった。
しかし明治政府の方針をめぐって西郷は下野し、やがて西南戦争で兵を挙げる。
このとき、政府軍を動かして旧友を討つ立場に立ったのが大久保だった。

西郷の死を知らされた日、大久保は人目もはばからず号泣したと記録に残る。
つまり情がなかったわけではない。情を持ったまま、それでも公の判断を曲げなかった。
これが「冷酷」と評された男の正体である。なぜなら情に流れた瞬間、組織は私物化されるからだ。

「人に媚びず、おのれにも例外を作らず」

現代のリストラを誰よりも嫌がるのは、実は判断する側だ。
「あの人は家族がいるから」「あの人は昔お世話になったから」──情の論理で例外を作り始めた瞬間、組織再編は崩れる。
大久保の言葉が今も刺さるのは、彼が情を捨てたからではなく、情を持ったまま例外を作らなかったからだ。

廃藩置県は、史上最大のリストラだった

1871年、明治政府は廃藩置県を断行する。260余りの藩を一夜で廃止し、府県に置き換えた。
各藩主の領地・家臣団・徴税権をすべて取り上げる、文字通りの「全社員配置転換」だった。
武力衝突を覚悟して動いたが、実際にはほとんど抵抗が起きなかった。

その裏側で動いたのが大久保である。藩主たちに事前根回しを行い、抵抗の芽を一つずつ潰して回った。
派手な演説でも武力でもなく、地味な調整と冷静な分析で巨大な組織再編をやり遂げた。
つまり大久保はカリスマ型ではなく、徹底した実務家だった。

これは現代のリストラ・組織再編とまったく同じ構造である。
反対派を説得し、退職条件を詰め、新体制への移行プランを描く。
派手な記者会見ではなく、地味な交渉の積み重ねで企業は生まれ変わる。
大久保が現代の執行役員だったら、間違いなくこの地味な仕事を完遂しただろう。

死後、借金しか残らなかった男

1878年5月、大久保は東京・紀尾井坂で士族に襲撃され、命を落とす。47歳だった。
その死後、遺族のもとに残ったのは多額の借金だけ。当時の金で約8000円、現代換算で1億円を超える負債である。
政府の高官として権力の頂点にいた男が、なぜそんな状態だったのか。

答えは単純で、私財を全部公共事業に投じていたからだ。
道路・港湾・農地改良。国の予算が足りない場面で、自分のポケットマネーを差し出して進めていた。
側近が「これは政府の仕事です」と止めても、大久保は「自分が必要だと判断したことを、自分の金でやって何が悪い」と取り合わなかった。

他人にリストラを命じる人は山ほどいる。
しかし「自分にも同じ基準を当てる」人は本当に少ない。
大久保が冷酷キャラとして語られながら、今なお敬意を集める理由はここにある。
他人にしか厳しくしない上司はただの暴君、自分にも厳しい上司だけが信頼される。

もし大久保利通があなたの会社の執行役員だったら、最初に名簿に載るのは彼自身の名前かもしれない。
そう想像できる人物だからこそ、150年経っても語られ続けている。
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参考文献

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偉人の名言は時代を超えて語り継がれているのに、現代の日常にどう使えるのかがいまいちピンとこない——そんな疑問がこのサイトを始めたきっかけです。「もし現代にいたら?」という視点で具体的なシーンに落とし込むことで、名言の意味がリアルに伝わるんじゃないかと思いました。作っているうちに自分自身の日常の学びにもなっていて、それが続けられている理由でもあります。

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