もし福沢諭吉が現代の人事評価担当だったら、いったいどんな面談を繰り広げるだろうか。
一万円札の顔としておなじみで、慶應義塾を創設して明治日本の知性を支えた啓蒙家。
その思想の根幹にあったのは「人は皆平等」という揺るぎない一線だ。
そんな男が役職ピラミッドの真ん中に放り込まれたら、評価制度ごと書き換えてしまうかもしれない。
「天は人の上に人を造らず」を職場でガチ運用すると何が起こるか
現代の人事評価には、ほぼ例外なくランクが存在する。
S・A・B・C・D。
給与にも昇進にも直結する、組織を縦に切るための道具だ。
しかし福沢諭吉の思想に照らせば、これは出発点から疑わしい。
「人の上下を制度で再生産する仕組み」だからだ。
もし諭吉が面談机に座ったら、まず評価シートの欄を疑い始めるはずだ。
なぜ人を5段階に区切る必要があるのか。
なぜ社長と新入社員で給与が10倍違ってよいのか。
合理的に説明できない上下関係を、彼は容赦なく崩しにかかるだろう。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
この一文は『学問のすゝめ』の冒頭に置かれている。
江戸時代の日本は士農工商の身分制度が当たり前で、生まれで人生が決まる社会だった。
諭吉はそれを真っ向から否定し、人間は本来同じだと宣言した。
つまりこの言葉は、明治版の「フラット組織宣言」と言ってもいい。
平等思想は身分制度との真剣勝負から生まれた
諭吉自身、下級武士の家に生まれ、身分の壁に何度もぶつかってきた。
長崎・大阪・江戸と学びを重ね、咸臨丸でアメリカに渡って民主主義の実物を目撃した。
帰国した諭吉が見たのは、相変わらず生まれで序列が決まる日本だった。
その違和感が、後の啓蒙活動すべての出発点になっている。
とはいえ諭吉は理想論者ではない。
同じ『学問のすゝめ』の中で「実際には賢人と愚人の差がある」と明言している。
ただしその差を生むのは、生まれや役職ではなく学びの量だと喝破した。
つまり彼の平等は「全員に上下なし」ではなく「全員に学ぶ機会あり」を意味する。
この視点を人事評価に持ち込んだら何が起こるか。
評価される側ではなく、評価する制度そのものが問い直される。
「この人は本当に学んでいるか」「会社はその機会を提供しているか」。
諭吉なら、社員より先に経営陣を面談室に呼びつけそうだ。
社長を呼び捨てにできる組織は強いのか
近年、ティール組織やホラクラシーのような階層を持たない組織論が注目されている。
役職をなくし、意思決定を分散させ、上司なしで動くチーム。
これは諭吉が150年前に説いた「独立自尊」と驚くほど近い。
一人ひとりが自立して判断する。誰かに従属しない。
もちろん現実の組織で社長を呼び捨てにしたら、ただの無礼者で終わる。
しかし大切なのは呼び方ではなく、意見を遠慮なく言える関係性のほうだ。
「この上司には反論できる」「役職に関係なく評価される」。
そう感じられる職場かどうかで、人の動き方は大きく変わる。
あなたの会社では、新入社員が社長に意見を言えるだろうか。
もし躊躇するなら、その距離こそ諭吉が壊そうとした「人の上下」かもしれない。
呼び捨ては極端だとしても、心の中の役職フィルターを一度外してみる価値はある。
「天は人の上に人を造らず」を腹落ちさせたいなら、まずは原典の『学問のすゝめ』(福沢諭吉)を一読してほしい。
140年前の書物とは思えないほど、現代の働き方への示唆が詰まっている。
役職という名の壁は、便利だが万能ではない。
誰かの一言に「役職」を理由にうなずいた瞬間、あなたの独立自尊は少しだけ削れている。
諭吉の言葉は、その小さな削れを毎日問い直してくる。
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